渋谷のなりたち

■先史・原始時代

渋谷区には、先史時代の遺跡が数カ所存在します。
当時の渋谷は、台地部分が海面から頭を出していた程度で、
縄文時代、人々は丘の上で生活を営んでいました。
原始時代は、古墳の築造が盛んに行われ、円墳と横穴墳が発見されています。
円墳は台地上にあり、小規模なものが大部分です。
横穴墳は比較的傾斜の強い台地につくられて、遺物は土製小玉と人骨が発見されています。

■奈良・平安時代

平安時代末期の武家勃興のころは、
渋谷氏(渋谷金王丸常光)を中心とする源氏諸将の伝説が、社寺や地名として残っています。

■鎌倉・室町・戦国時代

源氏の家人として功があった武蔵武士が地方豪族として武蔵国に住んでいました。
渋谷区にもいくつかの鎌倉道が通じていて、
中央の新しい文化の伝播や渋谷の開発も、この鎌倉道周辺から進んでいきました。
南北朝時代から室町時代にかけて、渋谷・原宿が次第に開拓され、
後北条氏全盛時代には下渋谷・原宿・千駄ヶ谷・幡ヶ谷に村落が発達ました。
徳川時代には下渋谷・原宿はいわゆる江戸御府内に属し、もっとも開けた存在でした。

■江戸時代

江戸時代の渋谷は、諸侯や寺領のほかは幕府の直轄地として統治されていました。
渋谷の丘はほとんどが武家屋敷で、低地の水田地帯には農家が点在し、宮益坂と元広尾には商家がありました。
渋谷の地域は、江戸市街の繁昌にともない、江戸の郊外地として代官や村役人の支配をうけ、
人々は名主の絶大な権力と五人組の連帯責任の中で生活していました。

■渋谷区の成立

昭和7年10月1日、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併、東京市渋谷区が成立、
他の79町村とともに大東京35区の一環として誕生しました。
その後、自治権拡大に関する要求が盛んにはなったものの、
第2次世界大戦に突入、昭和18年戦時態勢の強化に伴う都制の施行で、区の自治は著しく狭くなりました。

■渋谷区の成立以後

昭和30年ごろを境にして高層ビルが続々建設され、
商業地区に加えて業務地区といわれるオフィス街が生まれ副都心化が進みました。
昭和39年のオリンピック東京大会を機に、道路の新設、拡張工事があいつぎ、渋谷区の街並みは大きく変わりました。
昭和40年には渋谷区総合庁舎や渋谷公会堂が完成。
また地方自治法の改正により、福祉事務所などの事務が都から移管されました。